ガラケーで生活してみて気づいたこと
皆さん、こんばんは。社団法人ランナー龍(たつ)です。
私が ”ガラケー使い” であることはブログでも周知していることですが、Youtubeで公開した『ガラケーを持つというライフスタイル』の内容を元に、
ガラケーで生活してみて気づいたことを書き綴っていこうと思います。
人がガラケーを選ばない理由は明確
当ブログは登山ブログですが、どちらかというと登山とは関係ない雑記が多く、正直あまり人様に読まれないブログなのですが、それでも、ことガラケーに関する記事に関しては結構読まれます。
読者としては恐らく120%の確立でガラケーにするつもりはないけど、何かしら気になる部分があり興味本位で見ていると推察。したがって、関心度は高いと判断しています。
ガラケーには様々な印象がある。まず、第一に ”3G停波” によって「ガラケー自体がもう使えない」ものであるという印象が一般的だ。
使っていると 「あれ?まだ使えるんでしたっけ?」 という率直な質問をいただきます。
使えます。4Gで使えるガラケー(正式にはケータイ・フィーチャーフォンと呼ぶそうです)がありますので、4Gで使える機種を選べば2024年5月の段階で、全然使えます。
しかし、だからといってガラケーを選ぶ理由はない(笑)
上記画像に示している通り、スマホが便利すぎてガラケーが不便過ぎる事。画面も小さい。又、ガラケーを持つと人から変な面で見られる気がするし、人と違う選択をすることの無意識なる抵抗がある。
これだけでほぼガラケーを選ぶ理由は限りなく無い。だが、ガラケーを選ぶ理由は無いと説明した一方、深く考えればあえて選ぶという選択肢はある。
印象が強いガラケーだからこそ、拒否する心理的要因も。こちらの画像を見て欲しい。
ガラケーを持っているだけで 「ガラケー女」 とあだ名を付けられるらしい。
スマホを持っていて「スマホ女」というあだ名は付かないだろう。
ネット社会と闘う 〜ガラケー女と呼ばれて〜 単行本Amazon
この事柄は、高速道路の煽り事件とは別個に社会問題として取り上げられた。本も出ています。
とあるアンケート調査によると、ガラケーを持っている人に対する印象で最も多かったのが、
「変わってる人」だった。
持つことが悪いとして否定された方がマシで、肯定も否定もなく ”変わっている人” という評価が現代社会では最も多くの人の心理的ダメージになると思われる。
これがガラケーが選ばれない根本的理由と私は考えています。逆にみんながガラケー持ちだしたら、みんなガラケー持ち始めるんじゃないかな。
ガラケーで生活してみて気が付いたこと
スマホ生活では見えてこなかった景色が見えてきます。
①スマホを手放せばスマホをこまめに見る習慣が完全になくなる
まあ、当たり前ですが(笑)
②8インチの画面よりも目に映る景色が圧倒的に大きく新鮮に感じる
こんな当たり前のことを思い出します
③スマホに投下した平均スクリーンタイムで結構なことが出来る
1つの趣味をマスターしたり 資格勉強とかですね
④周囲を見渡すと如何にスマホの依存度が高い事に気が付く
外に出るとほとんどの人がスマホを片手に持っている。異様な光景に感じるようになる。
手元にスマホが無いからこそ、上記のことが浮き彫りに感じられるようになります。民間の調査ではスマホ依存と自覚しているひとは、利用者のたったの20%程度なのだそう。
ついつい食べ過ぎてしまうのと同じくらい、スマホには中毒性があると考えます。
これらの傾向を理解し、上手に使ったり、敢えて手放すことで自分の人生を主体性を取り戻そう!
松尾芭蕉、徒然草の詩で、
「古池や 蛙飛び込む 水の音」というのがありますが、
長い人生も、宇宙の歴史から見れば、カエルが池に「ぽちゃん」と飛び込む音くらい短いことを言い表しています。小さな端末に無用な時間を奪われている場合ではありません。
状況の変化が見られた
若干ではありますが、令和になってガラケーを取り巻く状況に変化が見られました。私も驚いているところです。
デジタルデトックスの一環として「脱スマホ」や「ガラケー」への関心が高まっている
「対面」の価値を再評価、デジタル「解毒」に需要
東京都心の渋谷区広尾。おしゃれなカフェが立ち並ぶ通りを抜けると、臨済宗大徳寺派香林院の門が現れる。院内の部屋や廊下には、10人を超える男女が腰を下ろし、座禅を組んでいた。
香林院では、平日の午前7時から、座禅会を開いている。多くが出勤前に、心を落ち着けにやってくる。住職の金嶽宗信さん(61)は、「普段、デジタル機器を使っている分、使わない時間をとることで本能的にバランスをとろうとしているのではないか」と推し量る。
「スマホがあると、調べたいことがなくてもつい触ってしまい、時間が過ぎてしまう」。訪れた会社員(34)は、スマホなどデジタル機器と距離を置く時間の必要性を痛感している。
日本のレトロな情景に映るのか、外国人の参加も多いという。
デジタルデトックスの取り組みやイベントが増えていて、注目を集めている。こういったイベントでは十中八九、スマホの利用は禁じられている。多くの人がデジタル依存に気づき始めている。
懐かしの「折りたたみ式ケータイ」に乗り換える高校生が続出…ジワジワ広がる「スマホ疲れ」という本音
通話ができればいい、SNSはいらない
1990年代から2000年代にかけて花開いた「ガラケー」文化がいま、アメリカで一部の若者の心をわしづかみにしている。
惹ひかれる理由はさまざまだ。ある青年は未知のガジェットとして新鮮味を見いだし、通知の嵐に辟易へきえきしたある少女はガラケーに乗り換えて自分らしい時間を取り戻した。
不便なガジェットをあえて相棒に選ぶことで、外出すればリアルな街とのつながりが感じられ、自分自身の脳を使ってものを考えるようになったという声もある。
20年前の若者が未来を感じた折りたたみ式の電話は、2023年になっても同じように若者たちを魅了しているようだ。
スマホ疲れという言葉は聞くようになってきていますし、必要最低限の機能があれば良いと思う層がいても当然かなとは思う。
通話とメールだけ「アホ携帯」が人気 脱スマホ中毒だけでない米Z世代の需要
いま、アメリカの若い世代の間で「Dumb Phone(アホ携帯)」が人気になっている。アホ携帯とは、電話やメッセージ、アラーム、カレンダーなど機能が限定的な携帯電話のことだ。アメリカの人気ラッパーであるケンドリック・ラマーが、昨年11月に、シンプルなスマホの販売を手がけるLight社とコラボレーションし、アホ携帯「Light Phone II」のKendrick Lamar limited editionを250台限定で発売すると、即日完売した。
上記の2つの記事からすると、世界の最先端を行くアメリカから徐々にスマホ離れが始まっている様子が垣間見れた。アメリカから始まり徐々に世界に広がっていくというのが今の世界情勢を表しており、今後も目が離せない。アホ携帯とは何ともアレなネーミングだが、端末は旧式AppleのIpodを彷彿とさせる洗練されたデザインでありデジタルデトックス目的ではなく、ガジェット好きのコレクション目的でも売れてしまいそうなのだが・・・。ほ、欲しい。
令和のエモーショナルなガラケー、私の愛用機種。CASIOのG’Z-ONEはこちらでレビューしています。
昭和レトロブームなんてしばらく前から言われていますが、これからは、昭和平成ブームとか、平成レトロブームなんて言葉が聞こえるようになり、1990年代~2010年頃までの様々なガジェット、
ポケベル、ガラケー、初期のデジカメなどのアイテム。特に用途によっては今も有効活用できそうなガラケーなんかは再び脚光を浴びるときが来るかもしれない。来ないかもしれないが(笑)
そうは言いましても、生活スタイルに合わせ「敢えてガラケーにする」という選択肢は、真面目に言ってありだとは思っている。
関連記事はこちらからもどうぞ。
動画の方もよろしければご覧ください。
ではまた!