ど昭和!「憧れの団地生活」について考察

ど昭和!「憧れの団地生活」について考察

2023年8月10日 オフ 投稿者:

画像引用は日経映像チャンネル 団地への招待(1960)より

皆さん、こんにちは。社団法人ランナー龍(たつ)です。

定期的に昭和時代について語られている登山ブログですが、今日は昭和を語る上で欠かせない団地生活について考察していきたい。

 

凄く良いYoutube動画を見つけましたので、その紹介を兼ねての記事になります。

勿論、動画の紹介だけでなく、当ブログらしく考察をしてまいります。

心してお読みください。

(なんちゃって昭和スタイルとして白パンツを愛用する私)笑

 

私も人生の半分はマンション生活をしているので、共同住宅の生活は団地も似たようなものだと認識しています。でもこのマンションと団地の定義には違いがありますので、それについても後程ご説明いたします。

 

小さい頃は近所にも団地がたくさんあって、よく遊びに行ったものです。どことなく昭和の雰囲気があり、今尚、当時のことを思いめぐらせています。

しかも、私が暮らした近所には、今も現役の高島平団地をはじめ、旧蓮根団地、旧赤羽団地、ひばりが丘団地(本記事で紹介)これだけの超レジェンドのザ・団地があったのですから、思い入れは強いです。

しかも、これらの団地のいくつかは、登録有形文化財になるほど貴重なレトロ文化なのだ。

当時住まれていた方は、もっと強い思い入れがあることでしょう。

 

憧れの団地生活

※日経映像チャンネル 団地への招待(1960)より

写真は東京都のひばりが丘団地。UR都市再生機構(旧日本住宅公団)により開発が進められていきました。

団地生活は日本の未来を映していた。そう感じて仕方がありませんでした。

私がいつも取り上げるのは、昭和後期1970年~1990年の範囲でしたが、今回はそれよりももう少しだけタイムスリップ。1960年代が舞台となります。

私の親世代が若かったころの時代のお話です。

先ず、見てください!この団地群。これは東京都多摩地区(現西東京市)にあるひばりが丘団地の上空からの写真ですが、

離れて見ると、豆腐にしか見えない(笑)

引用:知っておきたい!豆腐建築を脱出するたった1つのコツとは。

www マインクラフト、是非ダウンロードして遊んでみてね!

 

これはゲームソフト『マインクラフト』で初心者が最初に入手した木材で建てる住まいがたいてい豆腐のようなデザインになることから称された「豆腐ハウス」(笑)

これと同じ様相ですよね。

 

いきなり豆腐豆腐と馬鹿にしたような表現をしてしまいました。しかし、馬鹿にしたかったわけではなく、この形になったのは、限られたスペースで多くの人々が暮らすために効率よく造っていった結果なのである。

※日経映像チャンネル 団地への招待(1960)より

この団地は画期的な生活スペースであり、そこで暮らすことに憧れ、ワクワクしている様子が動画で語られている。

住居だけでなく、公園、小学校、スーパーなどに至るまで敷地の中で生活の全てが整う。すなわち、団地が1つの街として構想されていたのだ!

 

ここで、マンションと団地とアパートの定義を説明しよう。

マンションは3階建て以上の鉄筋コンクリートの高層共同住宅でエレベーターなどが完備され、部屋はリビングの他に複数の部屋が完全に仕切られているタイプが通常であり、現在主流としている間取りである。

アパートは2階建てまでの共同住宅でエレベータは基本無し。木造の場合もある。

一方で団地は、3階建て以上の鉄筋コンクリートの共同住宅でマンションの定義にほぼ近いが、高さはそれほどではなく、せめて5階建てくらいが一般的である。そういったことでエレベータが無い場合が多い。住居以外のスペースがほぼない。又マンションのようなユニークなデザインではなく、長方形や正方形の均一のデザインで、それぞれの棟に番号が振られていたりするのが最大の特徴だ(A棟、B棟、など)

ただこのような団地が1960年代頃より一斉に建設されたことが、地方からの移住が同時期に急激に進み、人口の都市集中や核家族化などにつながり、現在の人口分布など社会現象と言われる要因となった。

 

 

では、団地の住まいを覗いてみよう

※日経映像チャンネル 団地への招待(1960)より

団地は狭いながらもいくつかの部屋があり、寝室や書斎、リビングなどの使い分けをしているが、ただ仕切ってるだけなので、同居者とのプライベートはほぼ無いに等しい。子供が2人も3人もいたら本当に賑やかですよね。昭和はこれが当たり前であり、これはこれで良い面もありました。

 

※日経映像チャンネル 団地への招待(1960)より

ほぼ人が通れないくらいのギリギリのキッチン。所狭しと家具が並ぶが、動画によるとこの配置の方がかえって仕事がし易いのだとか。ベランダには洗濯機が置いてあります。

家事を仕事と言っていることも昭和を感じる。男は外で仕事、女は家事が仕事。このような価値観が当たり前だった。

 

※日経映像チャンネル 団地への招待(1960)より

うわぁ!ゴミをどうするのかと思えば、ダストシュートに投かんしたぞ(笑)

まだダストシュートが現役の時代です。私の生きてきた1980年代もまだダストシュートは辛うじて生き残ってました!しかしながら、1990年代に入って消えていきました。

 

※日経映像チャンネル 団地への招待(1960)より

夜、家族や親戚たちと団らんするシーンです。

サザエさんではありませんが、いつの時代も団らんは良いものです。映像はかなり上品で高級な暮らしに見えるので、団地に遊びに行った時の私の記憶はこんな感じだったかな!?ちょいと違うような気がすると思わなくもないが(笑)

レコードをかけ、カクテルを楽しみながら(タバコはいただけないが、これも昭和文化だから仕方がない・・)過ごすシーンは微笑ましく幼少期が思い出される。

とはいっても、映像は1960年代。私なんか全然生まれる前で、特撮ヒーローのウルトラマンがリアルタイムで放映されていた時期である。確かにウルトラマンなんかを観ていると、昭和60~70年代の文化をよくよく感じることができますよ。

この団地文化は1980年代もまだ割と残っていたので、私は経験している世代と言えます。1990年代頃より、老朽化した団地の代わりに近代的なマンションが次々建てられるようになり、それによって街の景観も随分とかわるんだな。と思っていたことを思い出します。

1980年、団地から高層マンションへの変化を遂げる黎明期の事例を紹介します。これまた東京都ばかりの情報で恐縮ですが、ひばりが丘団地のように「1つの街」として作られた住居群のマンション。東京都板橋区にあるサンシティ。

出典:サンシティ管理組合HP

昭和後期1982年と平成中期2002年の比較写真ですが、木々が伸びていることを除いてほとんど景観が変わっていないことが分かります。

私がここを散歩した印象は夏場であってもほどよく光が差し込む緑の街であり、散歩していても清々しく、子供たちは楽しく遊び、暮らしやすそうです。

時代を経て作り上げられた街としての好事例として内閣総理大臣賞として、都市緑化機構より「緑の都市賞」をはじめ、数々の賞を受賞し、メディアにも取り上げられています。

サンシティはA棟B棟などに分かれている団地のような特徴を持ちつつ、高層マンションの様相もあり、昭和っぽさは強めですが、団地とマンションの中間的なイメージです。

このサンシティだけでなく、今もなお賑わう団地群もあるのです。ただそれもいつまでもつか・・・・

 

 

団地の文化が廃れていく

60年代は、日本の人口増加を辿る中、日本の未来を切り開くために多くの若者が地方から都心に移住し、その住宅不足を解消するために建設された団地に住み始めました。最小限のスペースに多くの人々が効率よく暮らすために開発された団地群。

しかし時代は流れ、団地で育った子供世代は独り立ちし、残った住居人たちの高齢化は進み、空き家も目立ち始めます。

それにより、需要の低下した商店街の閉店。小学校の廃校。団地に入居した世代がほぼ同世代だったことから、この傾向は急加速し、団地群は ”空洞化現象” が起きていると言われています。

こうして憧れの団地は衰退していきました。

 

この未来を、動画に出演されていた方々は想像できていたでしょうか。

当初20代の方々なのであれば、今は80代になられているということになります。

 

再びブーム到来の噂も・・・?

懐かしみながらも、感慨深く考察して参りましたがいかがでしたでしょうか。憧れの団地生活。今となっては幕を閉じつつありますが、

昭和レトロも根強いファンがいるので、再生を希望する声もあるようです。昭和レトロを再現しても良いのでしょうが、今の生活様式に合わせるリノベーションをして暮らしやすい共同住宅としての再生をすることで若い世代の方にも利用してもらえる団地を目指す狙いもあるそうです。

最新機能を満載にして、デザインは北欧風の内装とかよさげ!

一人暮らしやカップル。子供の居ない夫婦家庭なんかは、このような団地で

ひろ~い1ルームにしたりして、意外と広々と生活できるかも。

無駄に土地があったり広い一軒家よりもミニマムに暮らしたいという需要はありそう。逆に今後強まってきそうですよ。

他にも新しい価値観を生み出すことが出来れば団地の復活。あるかもしれませんよ。

おまたせしました。動画の方も是非ご覧になってくださいね!

 

ど昭和!とにかく懐かしい 憧れの団地生活のお話でした。ではまた!