もっと個性を出してもいいんじゃないの?
みなさん、こんにちは。社団法人ランナー龍(たつ)です。
5月も目前になり、昨年の5月に令和になってからちょうど1年が経過しようとしています。
そういうこともあり、「 令 和 」と書いてみました。
令和についてはこちらで語っています。
古来から使われる筆で書いた文字のそのすぐ横に、ipad用のアップルペンシルを敢えて置くというミスマッチがなんとも令和って感じがしないこともない・・
しかも、このアップルペンシルではアプリを利用することによってまるで筆で描いたような文字も書けるのだとか。
AIや、デジタルの技術はどんどん進化を遂げていっておりますが、
人間もそれに負けないように「個性」にどんどん磨きをかけて進化をしていくべきではないかと考えたので記事にいたします。
もっと個性を出していこう
これは自分に言い聞かせている言葉でもありますが、
たとえば、文章を見ただけで、
「これは、あの人の表現の仕方だよね」と、
言われるほどの、独自の個性を認識してもらえるくらいに、磨き上げることができればとても素晴らしいことだと思うんです。
一方で、個性が表面に出ることについて恥ずかしかったり、嫌だったりする人が多数なような気がしています。
自分の考えなく多数意見に流れる考え方について一喝した記事はこちら
これからの世の中、人手不足とAIの進化で、単純作業から排除されていくとか言われますが、自動化や機械化が進むのは間違いないと思います。
こういう文章を書くことも、AIができる未来が来るのかもしれませんが、そう考えるとさすがになんか怖いですね。
まあ、AI化の世の中になりつつあるものの、
機械のように全く同じ品質のものを量産するのと異なり、人間は一人一人個性があるはずですので、
金太郎飴のように似たり寄ったりになるのではなく、
オリジナリティを求めて、個性に磨きをかけていきませんか?
思いきり自分を表現したほうがきっと人生は楽しい
その人ならではの文章の書き方
その人ならではの話の持っていき方
など、どんなことでも良いのですが人から認識してもらえるくらいに自分が思うがまま思いっきり表現してみてはいかがでしょうか。
時には人に受け入れられなかったり、批判されることも少なからずあるかもしれませんが、それは同時に好きになってくれたり気に入ってくれる人がいることも事実。
そこまでやってようやく人から認識される個性としてスタートするのではないでしょうか。
もう少し、強引なたとえをすると、
発達障害ADHD(注意欠如・多動性障害)の方は、ロケットのように思いっきり自分を表現するがあまり、常識の域を超えて人に迷惑をかけてしまうこともあるようですが、それも1つの個性として受けられるべきだという考え方に似ていて、要は表現に遠慮はいらないということです。
※当然ですが迷惑行為をしても良いということではありません。念のため。
自分の表現に、プラスアルファを付け足していくことで、
「その人ならではの個性」がいい味となって、ようやく人に感動を与えることが出来ることなのだと私は思います。
自分は出来る!て自信を持つことも大切なことです。けれども残念ですがそれだけでは足りず、やはり相当な努力と工夫が必要です・・・
努力をすると工夫が出来るようになってきて、何がしたいのか、どうしたらよいのかがだんだん見えてきて、やがてそれが個性になっていく・・
こんなステップでしょうか。
これは最近まじまじと思っていますよ・・・
ブログで言えば、事実や経験やノウハウに、文章力、そしてプラス個性だと思っていて、やはり個性が一番重要な気がするのです。
小説も、絵も、音楽も、動画も(笑)その他、あらゆるモノづくりが、個性を表現するほど可能性が広がっていくような気がしてなりません。
以上が、個性をもっと表現するべきだと思った理由になります。
あなたが個性を表現し続けていけば、いつか振り返ったときに、山頂から眺める景色のように、その努力の証がずーっと後ろに続いていることでしょう。
5月はブログを更新しまくりますので、毎日見に来てくださいね!
ではまた!