【閲覧注意】昭和の危険すぎる遊び BEST12
当ブログ好評の昭和のランキング シリーズ第三弾!
この文章は、完全に私の独断と偏見で作られるランキング記事である。
しかし私自身、昭和の人間なので、
ここで紹介するものは全て実際に「やった」「見た」「聞いた」経験によるものから発表しています。
今回のランキングは、昭和の危険すぎる遊びBEST12。ランキングが上位になればなるほど深刻さが増してくるので、面白おかしいだけでは済みません。
本気のランキングで行きます。よって、閲覧注意です。(ブラックな要素あり)
子供のアイデアは無限大だった
<かくれんぼ>とか、シンプルに奥が深かった。
絶対に見つからない所に隠れると、忘れ去られるのがあるあるだった(笑)
缶ケリに泥警(どろけい) ※地域によって警泥(けいどろ)とも呼ばれた
今の子供たちは、こういうのやっているのかな?
限られた遊具と場所で ”何” ができるか。今のようにスマホなどはない。
昭和の子供たちは夕暮れまで野を駆けまわって遊んでいたのだ。
それにしても何をして遊んでいたのだろうか。
子供は大人の想像も出来ない発想をすることもある。
だが、それはときに危険なレベルにエスカレートすることもある。
無邪気にとんでもない遊びをしていることも・・・
学校の校庭にある校章の昇り旗を掲げるポールによじ登ったり(10mくらいの棒)
川の水門をくぐろうとしたり(水難事故事例あり)
花火などの火薬を取り出して、たくさん寄せ集めて爆弾を作ったり(後に登場・・)
これ以外にも、今考えれば非常識な危険行為であっても、当時は至って普通の遊びとして容認されていたものも多く、このような遊びを中心に紹介する。
昔の常識は今の非常識。
今回紹介するものは、令和の今では、ほぼ残っていません。
つまり、それだけ危険であるということ。
昭和の遊びは ”禁じられた遊び” と揶揄されるほど危険なものがあったとか!?
そう考えると、昭和時代の公園は危ない遊園地だったのかもしれない・・・
昭和の危険すぎる遊び BEST12
素直に懐かしいもの、笑えるもの、笑えないもの、頭を抱えるレベルなもの。
とにかく色々あります。
私の生まれ育った昭和50年代~平成初期にスポットライトを当てたランキングになりますが、その前に番外編としてもう少し時代を遡り、
私が生まれる前に一足先に無くなったレトロなものを4つ、紹介します。
(凄いのしかありませんので、驚かないでくださいね)
昭和の危険すぎる遊び 番外編その1(筆者が生まれる前)
線路遊び
出典:伝説の教師の一日 より
これ、今やったら怒られるだけじゃ済まないよね(笑)
電車が走る音、近づいてくる音などを楽しむ遊びだと想像します。
スリルもありますが、命がけです汗 今では絶対にやってはならない遊びです。
昭和の危険すぎる遊び 番外編その2(筆者が生まれる前)
人間シーソー
出典:オさんのX(旧Twitter)より
人間か空を飛んでいるが・・(笑)スカートがめくれてしまうのでは?という疑問より、100%怪我するだろ!の突っ込みがしたくなる写真である。
人間の重量をテコの原理で持ち上げる「シーソーゲーム」は私の子供の頃も公園では人気の遊具だったが、こんな危ないものは、私が物心ついた時はもう撤去されていた。
写真は1960年?70年? 随分色鮮やかな貴重な昭和の1枚ではないか。AIなどでカラーリマスタリングしたのかもしれないが。
ちなみに、私の知る安全なシーソーゲームはこちら。
これこれ!
しかしながら、これでさえ、絶対安全とは言えず、下手すれば怪我をするのだが、この遊具でさえ、最近では見かけなくなっているし、もしかすると絶滅危惧種かも。
上の写真のX(旧Twitter)のコメントにもあったように、怪我をして痛い思いをするからこそ学べることもあるので、なんでもかんでも撤去と言うのは考え物であるということが議論されていた。
昭和の危険すぎる遊び 番外編その3(筆者が生まれる前)
超高層遊具
すごく、カオスな景色が広がっているんですけど・・・
昭和のタワマンはコレか!(笑)
写真が白黒なので、1940年~60年か、わかりかねますが、のちに登場してくるジャングルジムの前身であるように思う。
高さはかなりの高度感があるはずで、落ちたら助からない可能性も。今の常識では絶対にありえない。てっぺんのポールを歩くにしても、ぶら下がって進むにしても、後に引けないのが怖い。
この遊具考えたやつ誰だ?と問いたくなるが、一方でかなり体を鍛えられそうだ。
X(旧Twitter)では、スマホとどっちが危険かな?という真理を突いた疑問が投げかけられていた。
昭和の危険すぎる遊び 番外編その4(筆者が生まれる前)
2B弾
2B弾を知っているか?私は知りませんでした。色々と問題が生じ販売中止になった玩具だが、普通に駄菓子屋などで買うことが出来たという。
これは火薬です。のちに登場する爆竹やかんしゃく玉や、火薬ピストルなどの前身である。
戦後ということもあってか、火薬で遊ぶことが身近だったという時代背景がある。それに、用途は音を楽しむということなのだろうが、子供に触らせたら、想像を超えた遊び方をするに決まっている。
戦争ごっこで投げ合ったりしたそうだが、牛乳瓶に詰めて投げれば、瓶ごと破裂する手榴弾として使えたという記事に震えた。犬や猫を驚かせるだけでなく、水中で爆発させる「水爆」、カエルに詰めて爆発させる「カエル弾」など、ちょっと調べて色々出てきてしまったので慌てて調べるのをヤメタ(笑)
最終的には指が吹き飛ぶ事故に発展したため、1965年に通商産業省が販売業者に対し製造中止命令を出し幕引きとなった。
いかがでしたでしょうか。前菜の4つを見ただけで私はお腹いっぱいです。
昔の常識は今の非常識とはよく言ったもんで、なかなか受け入れられない日常が繰り広げられてました。
さて、ここからがメインディッシュ。筆者が生まれた後、幼少期から思春期手前ぐらいまでの、昭和の危険すぎる遊びをランキング形式で紹介して参ります。さっきより少しマシかもしれませんが、引き続き閲覧注意でお願いします。
昭和の危険すぎる遊び 第12位
コーヒーカップ
公園の遊具が多いランキングになります。まずは第12位。
12位だけあって危険度も低めです。コーヒーカップ遊具です。
これは遊園地の乗り物コーヒーカップと同じで、中心の円盤を回すとカップ(遊具)も回ります。コーヒーカップなんて優雅なネーミングであるものの、この回転力は凄まじく、力のあるものが本気で回すと吐き気を催すほど回るし、ジェットコースター並みのスピード感になり得るので危険。
遠心力で遊具から吹き飛ばされたり、回転中に乗り込もうとするなど、遊び方を誤ると極めて危険であることは言うまでもない。こんな遊具が私の幼い事はたくさんありました。
コーヒーカップは今やほとんど撤去されているであろうが、辛うじて残っている公園もあるみたいです。昭和ノスタルジックの皆さんは、無くなる前に目に焼き付けてください!
昭和の危険すぎる遊び 第11位
火薬あそび
第11位は「火薬遊び」 先ほどの2B弾で懲りずに、その後も火薬玩具が続発したんですね。これらはすべて、私が子供の頃遊んだものです。青春の1ページで涙が出てきます。
2B弾のような威力は無く、音を楽しむものになっていましたが、人に向けて投げたりはありましたね。カネキャップは唯一、今も販売が続いているのでしょうか、安価で購入が可能です。
位置について、ヨーイ、ドン!はこれでよくやりました。たまに不発あり(笑)
かんしゃく玉は、道路にばらまいたものを回収しきれず、やがて車が通り過ぎたときに全部踏んでマシンガンをぶっ放したように「パパパパーン!」と鳴り響いたのは過去の思い出です。
今はもうほとんど目にすることが無く、寂しい限りです。
昭和の危険すぎる遊び 第10位
ブランコから飛ぶ遊び
こんなごく普通の鉄のブランコでさえ、もうあまり見れなくなってきている。
ブランコも遊び方次第では危険に。
昔はこのような4人が使えるタイプのものが主流でした。ブランコは勢いをつける程、振り子の原理で止まることが難しくなってくるので結構怖いですよね。これで当時は、勢いを付けたら、例えば、写真のブランコを囲う「鉄のポールを超えて飛ぶ」遊びをよくやりました。
かなりの運動神経と度胸も必要になるので、誰にでもできるわけではなく、出来る人は特別感がありました。当時は私も猿のように飛んでいましたが、今は出来るどころか、大怪我するでしょうね(笑)
昭和の危険すぎる遊び 第9位
回転ジャングルジム
出典:Nitto
これも懐かしいですよね。回転ジャングルジム。「グローブジャングル」という正式名称があるみたい。
田舎にいくと稀に見かけますが、うちの近所の回転ジャングルジムは全て撤去され、私の知る限りはゼロになってしまいました。昭和が無くなり本当に悲しいです。けれど、無くなるには理由があって、見ての通り遊び方を間違えると大怪我を追うのは当然であり、当初から定期的に怪我人なども発生していたのでなくなるのも必然の流れか。
昭和の危険すぎる遊び 第8位
回転UFO
出典:ミドルエッジさん
さあ!ベスト8位の紹介です。徐々に危険度は上がっていきます。今思えばかなりカオスでしたが、かなり遊んでました。が、今はもう見ることは完全に無くなりました。
遊具名はよく分かりませんが、回転UFOなんて勝手に呼んでいました。
これは回転する遊具にしっかりつかまって、飛ばされないように耐える遊具なのです(笑)
「誰が最後までつかまっていられるか」というバトルロイヤルを行うのがお決まりでした。最後の方はかなりの遠心力がかかっている状態で、これで手を放してしまうと後数メートル飛ばされることになり、怪我は免れない状況でした。(よく考えると最初に手を離した奴賢いw)
擦り傷やあざが絶えない少年時代でしたが、今思えば懐かしい経験です。
この遊具は、その後骨折事故が発生して撤去される運命になりました。足元にウッドチップや柔らかいマットを敷いて、近くに障害物を置かないように配置すればこの遊具を残しても良いとは思うのですが。。
昭和の危険すぎる遊び 第7位
箱ブランコ
出典:271828の滑り台Logさんより
昭和の危険すぎる遊び第7位は、箱ブランコです。回転ブランコとか色々と呼び名はあると思います。
これも絶滅危惧種ですね。一見、平和そうに見える遊具ですが、子供たちだけで遊ぶとなると、とんでもない遊び方をする輩も居て、一回転させようと限界まで揺らしたときに転落したり、座椅子と下の隙間に足や腕を挟んで大怪我をしたりする事例がありました。
そして、どなたかの親から聞いた話では、死亡事故も発生したとかで近く撤去される話を聞き驚愕した記憶があります。それで本当に撤去されました。
昭和の危険すぎる遊び 第6位
手すり滑り
昭和の危険な遊び第6位は「手すり滑り」 怪我のリスクがかなり高い遊びです。
これは私が本当によくやった遊びです。今は勿論、やりません(笑)
思ったより滑りが悪い時と、バランス崩して危ない時と、走った方が早いなど、それほど効果的でないのに気づいた時から辞めましたが、学校内だけでなく、写真のような路地や繁華街、学校、スーパーなどいたるところの手すりに足を掛けて滑るというとんでもない悪ガキでした。
クラスメイトの女の子と一緒に滑ったりしていました。今となっては反省します。
もし、うちの息子がやっていたら笑ってひっぱたきます(笑)
昭和の危険すぎる遊び 第5位
廃墟探検
このあたりから危険度が一層に増してきました。
昭和時代、結構放置された廃墟がありました。今ならすぐ解体や進入禁止の柵などが立てられますが、当時は持ち主(又は遺族)が管理しないと、草木が覆って完全放置状態だったりしました。
悪ガキは探検しては、おまわりさんに注意され・・親に叱られ・・
まあ、もちろん、このような遊びはしてなならず、不法侵入に相当する可能性があることと、劣化した家屋が倒壊して大怪我を追う恐れがあること、不審者などが居て思わぬ事故に巻き込まれるリスクなど危ないことだらけである。
今も登山中に廃墟に遭遇することがありますが、素通りです(怖すぎます)
昭和の危険すぎる遊び 第4位
木登り
この写真は割と安全ですが・・・(笑)
私の子供の頃に高い木に登った写真があります。アップロードは遠慮しておきます(笑)
高さが5mくらいに達してくると、落ちた時に無傷で耐えられない衝撃になるのは間違いなく、手足に汗がほとばしった記憶があります。
木登りは先に挙げた廃墟探検に比べるとよほど健全な遊びですが、怪我の確率と重症度のリスクはそれ以上のものとなりますので、こちらを4位に選ばせていただきました。
木は、腐っていたり細い幹や枝の方に足を置くと、折れる場合があり、落下の危険があります。
昔は木登り少年をよく見かけましたが(自分がそうだった)今は見る影もなく、それはそれでさみしいばかりです。
昭和の危険すぎる遊び 第3位
戦争ごっこ
ここから先は怪我なしには語れません(笑)
パチンコ玉装着機と呼ばれたY字型の木は、スリングショットと言われ、ゴムの引力を利用する飛び道具である。私の親父はそこら辺に落ちている木を加工してスリングショットを作ってくれた。
一般的な遊びとしては、道路の上に缶などを置いて、離れた位置から狙い撃ちして見事なショットを決めるというものだったが、友人同士の撃ち合いになると、ガチで危険度が増す。何を飛ばすかにもよるが、先に挙げたかんしゃく玉やビー玉、BB弾、パチンコ玉、色々だがどれも破壊力は抜群で目にクリーンヒットしたら失明に至るだろう。危なすぎる!
やがて中学生にもなって、多少おこづかいも入るようになると「エアガン」を購入する輩も出てくる。
まずは、グロック17が安価で扱いやすく定番。ただこれも人に向けて撃つと失明の危険がある。公園ではサバイバルゲームと称した遊びが流行ったが、通行人に流れ弾が当たったりしてPTAで問題になり、学校の保護者会などを通じて禁止になった経緯があった。
昭和の危険すぎる遊び 第2位
チャンバラごっこ
これもかなり危険な遊びでした。第2位はチャンバラごっこ。写真はれっきとした競技であるスポーツチャンバラであるが、我々の少年時代は、本気のチャンバラだ(笑)
剣道で使用する竹刀を全員自費で購入し、普段着のまま、防具も装着せず、時代劇さながら、切られるまで勝負が続くのだから怪我は避けられなかった。
学校の大勢の男子生徒、多い時は20名くらい集まったか、半々でチームに分かれて一斉に戦う「チーム戦」と、全員が敵で最後の一人になるまで続く「野戦」まあどっちも怪我は免れませんでした。
竹刀で思い切り脳天を叩かれたことはありますか?ありませんよね^^;
めちゃ痛いです。子供ながらにとんでもない遊びをしたものです。
強かったのは、剣道を習っていた子の他に、躊躇なく攻撃してくる怖いもの知らず。
上手い人の中には痛くないように、最小限の力でを「ポン」と触れて切ったことにしてくれる人。でも誰もがそのような優しい人ばかりではない。今考えればこのときも早々にわざとやられて早めに離脱する人は賢かった(笑)本気のチャンバラは喧嘩と同じ。ダメゼッタイ!
幸い、大怪我はなかったのでPTA問題には発展しなかった。
昭和の危険すぎる遊び 第1位
首絞め遊び
遂に1位の発表でしたが、ぶっ飛んで危険なので、文章化にかなり躊躇しました。
これは昭和、平成だけでなく、令和でも起こりうるかもしれません。
当時は「首を絞めると気持ちいいよ」という触れ込みで、学校や家庭、公園などでしばしばこのような行為が見られたようです。柔道などでも「しめる」といって、窒息による意識消失がありましたが、それと原理は同じで首の脈を押さえ、血液が循環しないようにすることで酸素が脳に行き渡らなくなり意識が薄れていく体験をしていることになりますが、完全にNG、遊びでもやってはいけない遊びです!
一般的には30分~1時間酸欠状態になると助からないと言われており、この遊びのケースは1~2分で窒息の症状が見られたらすぐに辞めたそうなので、身近なところでは大事に至りませんでした。直ぐに意識を取り戻したとはいえ、酸欠による窒息は後遺症が残るケースもあるので絶対にやってはいけません。
当時はこのような危険性についての知識こそありませんでしたが、一線を越えてしまっている感はあり、私は出来ませんでした。
これはPTAで問題となり、エアガン事件と同様、保護者会を通じて禁止となった経緯があったとうっすら記憶しています。
おわりに
ということで、実際に経験してきたこと、見てきたことを中心に、危険度の高い遊びをランキング形式で紹介してきました。公序良俗に則り、危険なものはくれぐれもマネしないでください。
もう既に無くなっているもの、絶滅危惧種、静かに今も残っているもの、無くすべきもの、様々でしたが、危険でないのなら残っても良いと思っています。
又、危険にならないような工夫をすることで残すことが出来るならそれも良しです。
子供のアイデアは無限大。アイデアは感動を生む。
広い何もない公園で、昭和の子供たちは限られた遊具と場所で工夫して遊んできました。
高さのある遊具など、滑り台でさえ、登り切ったところから間違えて転倒してしまったら怪我をしてしまう可能性があります。
このような遊び方によっては危険な遊具と、現代のスマホ。どちらが危険なのでしょうか。
もしかすると、令和の危険な遊びも特集して啓発していく必要があるかも。
さて、私はこれについて、どのように分析していくべきか・・・ おわり。
お読みいただきありがとうございました。
昭和のランキング特集記事はこちらもどうぞ。