14日後救出の両神山遭難の件は他人事にできない
皆さん、こんにちは。社団法人ランナー龍(たつ)です。
登山では「滑落」しないことを最重要課題として挑みたいと改めて思う。
山で遭難したくないと誰もが思うわけですが、遭難理由の大部分を占めるものに「滑落」が挙げられます。
滑落と言えば、2010年8月に発生した遭難後14日で救助された両神山遭難事故を思い浮かべますが、そのたびに「他人事にできないよなー・・」と怖くなる自分がいます。
山岳救助史の中でも ”奇跡” と言われているこの事故を知っている方も多いと思います。NHK番組などでこの事故についての特集が放送されたりすると、私のブログで両神山登山記事の閲覧者が突然増えたりするので、そういった機会に思い出すのです。
この事故の特筆するべきことは、生還もそうなのですが、なんといっても遭難された登山者の人物像、年齢や登山経験値に至るまで私に近いものがあり重なってしまうんです!
つまりは、私も同じ状況に陥ってしまう要素が十分あるということです。
(勿論、そうならないよう最大限の注意を払います)
この遭難者の当時の年齢は30代前半、登山歴1~2年、若く体力はあり、単独で山に登る。慣れてきたのでそろそろステップアップしようと登る山のレベルを上げたいと考えている。
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これ、私が登山し始めの頃と重なるんです!決して特別なステータスではなく、至って一般人ですが、自分の体力に多少の過信があり、冒険心が強く単独で山に登るタイプのようです。
遭難当日の山の登り方をみても、やや無茶な行動をしているので、まるで自分のようだと考えずにはいられません!
自分は、たまたまこのような事故に遭っていないだけ・・・。
この遭難事故は元々知ってはいましたが、これを機に今後の注意喚起も踏まえて考察してみることにします。
山の怖さをイマイチ実感できない方、若い登山者、少し慣れた初心者から中級者くらいまでの方には必読です。
それではどうぞ。
山岳救助史の奇跡
この遭難事故の全容を一部抜粋します。
昨日も、「明日は目覚めないかもしれない」と覚悟して目を閉じた。でも、また朝が来た。意外と人って死なないんだな。それなら、目が覚めなくなるまで生きてみよう――。
2010年の夏、埼玉県の両神山(1723メートル)で遭難し、あめ玉7個でたった一人、13日間を生き抜いた多田純一さん(40)(遭難当時は30歳)は、もうろうとする意識の中で思った。
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2010年8月14日の朝、東京都大田区の会社員、多田純一さんは、お盆休みを使って、一人で両神山に入った。埼玉県の秩父市・小鹿野町にまたがる標高1700メートル超の山。登山歴1年。そろそろ高い山に挑戦したい頃だった。
いつもなら必ず、登山道の入り口にあるポストに登山届を出していた。両神山にも目立つポストがあった。なのにこの時はなぜか、見落としてしまった。
登りは軽快。山頂で一息ついて、下山を始めた。
途中、山道が二手に分かれた。「せっかくだし、下りは違うルートを通ってみよう」。この判断が、二つ目の大きな間違いだった。
未整備の荒れた道に入り、焦りながら歩いていると、傾斜に足を取られた。「あっ、やばい」。そう思った時には、体がごろごろと崖を転げ落ちていた。
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ぶらんと力なく垂れ下がり、靴下が真っ赤に染まっている。恐る恐るよく見ると、太い骨が皮膚を突き破って飛び出し、傷口から「ぼこっ、ぼこっ」と血が噴き出していた。
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3日目。バケツをひっくり返したような雷雨。夜闇の中、左足をライトで照らすと、巻きつけたタオルの中に数十匹のウジ虫が集まっているのが見えた。
持っていたあめ玉7個は、この頃には食べきってしまった。空腹に耐えられず、アリやミミズも口に入れる。渇きが限界に達し、ペットボトルに自分の尿をためて飲んだりもした。けがをした左足は真っ白になり、腐乱臭が漂う。
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遭難から10日目。まどろんでいた多田さんは、雨で増水した沢の水に浸かり、溺れかけていた。必死で岩場にはい上がったが、枕代わりのリュックが流されてしまった。
「もう死んだ方が楽かな」
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「ヒット!」――。遭難から13日がたった8月27日。当時、山岳救助隊の副隊長だった飯田雅彦さん(61)は、興奮した声で山中さんに連絡を入れた。
山中さんによると、この前日、沢のあたりでカラスがたくさん鳴いていたという。「これが最後」とばかりに、その沢に狙いを定めて捜してみると、増水で流された多田さんのあのリュックが見つかった。沢の上の方に、人が倒れていた。
「多田さんですか」。そう声をかけられ、目を開けた多田さん。隊員2人が自分をのぞき込むその光景が信じられず、思わず口をついて出た言葉は「手を握ってもらえますか」。
出典:読売新聞オンライン 2020/02/23 05:00[あれから]<1>山中に独り、また朝が来た「山岳救助史の奇跡」…2010年8月 より一部抜粋
あまりに想像を絶する内容であり、おもわず鳥肌が立つ。
とにかく、生きる!という強い気持ちが凄まじく、この方だったからこそ生き残ったとも言えるかもしれません。気持ちが諦めてしまったら14日間も食事なしで生き残れません。
あらためて、生還されたことを同じ登山者として、とても喜ばしく胸を打たれます。
同時に、生きて帰った後、周囲にお詫びして回ったり、心配と迷惑をかけてしまたことに負い目を感じてしまったのではないかと、察します。心無い言葉もあったかもしれません。上記取材の記事にも本名名前が載ってしまっています。
両神山には人を寄せ付けない何かがある
私が初めて両神山に登った時に感じたことです。
他の人のブログなどを読んでも
「誰かに見られている気がする」「視線を感じる」
などといった感想が書かれているのを見かける。偶然か、それとも・・。
私が両神山をマイナールート経由で登った記事はこちらです。
遭難多発エリアと呼ばれる両神山ですが、決して標高が高いわけでも広く大きいわけでもない。距離の割に標高差があるので、滑落すると危険であり、実際には滑落事故及び滑落による遭難事故が後を絶たない。
次のような悲しい事故のニュースは最近のものだが、まるで人を寄せ付けないことを物語っているようです。
ひとり登山で滑落か 埼玉・両神山で不明女性が遺体で発見
2日午後4時45分ごろ、埼玉県小鹿野町の両神山(標高1723メートル)の北西斜面で、川崎市中原区木月住吉町の会社員菊地雪乃さん(40)が死亡しているのを、捜索していた小鹿野署山岳救助隊員が発見し、3日に遺体を収容した。署によると、現場は登山道から35メートル下の斜面。現場の状況から、菊地さんは雪の積もった登山道を1人で下山中、誤って滑落したとみられる。宿泊していたホテルから1日夕、県警に「12月31日早朝に出発した菊地さんが、チェックアウト時間を過ぎても戻らない」と通報があり、山岳救助隊が登山道周辺を捜索していた。
繰り返し述べるが、飛び抜けて高難易度ということではない。
それでも、滑落事故が多いのはそれなりの理由があるということだ。
メインの日向大谷~清滝小屋ルートは、よく整備されており、明瞭で歩きやすいルートだ。
一方で、何度か渡渉しながら進まなければならない所もある。大雨や増水時は厳しいだろう。またこういったところで転倒や道迷いも発生しがちだ。
でも、それなりに人気の山なので、登山者とのすれ違いもあるでしょうし、このルートであれば難なく登頂できるだろう。
人を寄せ付けない要素として考えられるのは、全体的に日が当たらず薄暗い印象だったことと、メインルート以外に無数のマイナールート(破線ルートやバリエーションルート)があり、そこにはほぼ人が通ることが無い寂しい場所であることが、それを想わせる。神々しくも、どこか怖い。
決して驚かそうとしているわけではない。山頂の360℃パノラマは素晴らしく私の心に焼き付いている。
話を戻しますが、
今回の事故は、ここのマイナールートで発生しました。
事故について、少しだけ考察してみようと思う。
事故の考察
遭難者は、両神山のマイナールート、七滝沢ルートを下山で使ったようです。
七滝沢ルートと言えば・・・
日向大谷のバス停を降りるとまず目に留まるのがコレ。
七滝沢ルートは行くな!と言わんばかりに、注意喚起しています。
「遭難多発、大変危険です」と、書いてありますね。
これだけのものを見れば、そうそう行く人はいないだろうと思われるが、これは今回紹介した事故がきっかけで作られたと思われるので、当初はこの看板は無かったと思います。
山と高原地図をみると、現在、七滝沢ルートは破線ルートとなっております。
滝のあるルートは、もう滑落の要素がたっぷりありそうですよね。鎖場もあるだろうし、特に下山では使って欲しくない。
実際、こんな看板が随所にあるので、そういう意味ではやたら物騒な山である。汗
・・私が言われている気がしてくるメッセージ。
事故の様子を再現すると、当初はお盆休み。8月ですね。
10:00登山開始。人のこと言えませんが、出発が遅すぎます。
登山届けは出し忘れています。
民宿が隣接してて紛らわしいけど、結構分かりやすいところに登山ポストはあります。深夜とかだったら見落とすかもしれませんが・・・
この時点で遭難フラグが濃厚な感じです。
お昼ごはんと、飴玉しか食料が無いのは登山者としては心もとないのですが、日帰り登山だから致し方ないか。(+αの非常食は持参しましょう)
難なく山頂に到着し、昼食後下山へ。
行きと違うルートで下山しようかなということで、七滝沢ルートを選ぶことになる。
あとは上記取材記事の通り。
出発が遅かった分、日没前の下山で焦りと疲れと、マイナールートの難易度の高さを考えると、滑落するリスクが非常に高くなる気がしてならない。
今の私なら到底選択しない内容だが、当初の私だったらやりかねない。
14日間、精神を冷静に保ちながら、わずかの飴、沢の水、アリやミミズなどを食べて飢えをしのいだという。
8月と言う季節がよかった。低体温症にならず生存できた要因となったと判断できる。1月だったらもたなかったと思う。
奥秩父でも夏季の場合、遭難後1週間以上の経過で生還するケースを時々見かける
開放骨折して動き回れなかったことも体力を温存する要因になったと考察されている。しかし、このルートの場合は、動けた方が正規ルートに戻れたり下山できた可能性もありそうなので、逆に滑落して身動き取れなくなったことで進退窮まることになったとも言える。万事休す。
登山届けを出していないだけでなく、登山届けの控えを家に置いておくなり家族に渡していないのが痛恨。これで捜索が数日間遅れている。
しかしなにより、こんなマイナスの条件がそろっても最終的に生き残ったわけで、凄いとしか言いようがない。
このルートは特別不明瞭ということでもなさそうだ。時折、登る人の記事も見かけるし、目印のピンクテープがそれなりに配置されているらしい(当初からあったかどうかは不明)道標も要所には設置してあるというのだから、完全にバリエーションというほどでもないだろう。
遭難の理由の大半が滑落を原因としているように、どれだけ険しくても易しくても、滑落して身動きが取れなくなった時点でそれはもう遭難なのである。
人が高さ10mから滑落した場合、落ちる場所にもよるが、たった10m程度でさえも30%~50%の確率で死亡すると言われている。それが50mを超えればほぼ100%の死亡率と言われる。(アスファルトや岩場だと当然、生存率は下がるが、一方で土や草、木の枝がクッションになれば生存率は上がる)
登山は標高数百メートル、千メートルの高さで綱渡りをするようなもので、考え方によっては危険極まりない。それをどれだけ安全にこなすことが出来るだろうか。これを追求することも登山というスポーツに求められているように感じた。
そして、今回のような事故を考察に忘れがちになる安全への意識づけにし続けることも大切なこと。
迷う→焦る→下る→落ちる がよくある滑落のパターンだ。
しかも、滑落すると、人目に触れない場所に落ちてしまうため、発見が難しくなる。
動けないわ発見されないわで非常に苦しい。
息をのむような美しい山の景色を見るために登山を始める人も多いと思いますが、気を付けなければならないこともたくさんあるのが登山です。
いくつかの大切なポイントは、このブログの安全登山への心得にも書いていますが、自分のレベル、装備、など登る山に対してバランスが取れていれば安全に楽しい思い出にすることができます。
なまじ体力があったりすると、安全を置き去りにしてしまいがちなので、若い方には特に気を付けていただきたいなと思います。
遭難して助かった事例、助からなかった事例など、実際に起きた事柄を考察する本などもあるので、読むだけでも参考になり、経験値も積んでくると状況も想像できるようになってくるので読んでみるのもいいかもしれません。
今回の考察の1つの答えとして、
登山では「滑落」しないことを最重要課題として挑みたいと改めて思う。
ではまた!
今回、生還した登山者は、当初お付き合いしていた彼女と無事、ご結婚されたようです。良かった!