手編みのセーター【少年時代】
皆さん、こんにちは。社団法人ランナー龍(たつ)です。
今回は、少年時代までさかのぼった思い出話をしたいと思います。
ちょうど、小学校の5年生くらいの頃だったか、もうこの頃の日常の出来事なんてほとんど覚えていないのだが、この出来事だけは今でもずーっと、心の片隅で忘れられず、時には胸が痛み、苦しめられる。涙が出そうになる。
題して、「手編みのセーター 未だに母親に謝れていない件」です。
それでは、はじまり、はじまり・・・
かあさんが、夜なべをして・・っていう歌があったように、私が小学5年生頃の当時、夜みんなが寝る時間になる頃、母親は毎晩毛糸を紡ぎながら編み物をしていた・・・
ちょうど冬になるころだったろうか、その編み物は小物でもなく、マフラーでもなさそう。私には3つ下の弟、6つ下の妹がいて、その編み物は弟か妹のどちらかに作られているんだろうと当然のように思っていた。
編み物がだんだん完成形に近づいてくると、それは結構な大きさになっていくではないか。「・・・まさか、俺の!?」
ある朝、私は母親に呼ばれ、それは手渡された。
セーターだった。
色は灰色と茶色が混ざったような、まあ、なんというか(笑)とにかく地味だった。
そのときの正直な気持ちは、うわ~・・ありがた迷惑だわ、これ着て学校行けって!?そんなあ・・、とまあ、こんな具合。
当時はアディダスやチャンピオンのトレーナーが流行っていた。もちろん、ナイキでもいいぞ。でも、このセーターはそんな流行からかけ離れていて、カッコ良さのかけらもない。(流行を選ばないというのは今考えればとても素晴らしいことなのだが)
思春期の自分にとっては、さすがにこれを着て学校に行くのは気が引けたが、一方、毎晩苦労して作ってくれて申し訳ないような気持ちもあり、結局着ていくことにした。
学校に行くと、しばらくは特に何の反応もなく、淡々と時間が過ぎていった。
・・午後に事件は起きた
担任の先生だ。(男性) お昼休み直後の授業が始まる前のちょっとした時間。
まじまじと、私のセーターを見て、徐々に笑い出し、「それ!手作りか!編み物だ!編み物ババア!」と笑いながら指をさされ、繰り返し言われたのだ。(先生は褒めたつもりだったのかも知れない。だが当時の私には馬鹿にされたとしか受け取れない)
それに便乗してまわりの友達(生徒たち)が一緒になって笑ってきた。ババア、ババア、と連呼してからかわれた。ちょっと離れたところでは、女子達もクスクスって感じであったと記憶する。
私は顔は真っ赤に、頭は真っ白になり、下校の時は一目散にダッシュで帰宅。
そして母親に言った。
「こんなセーター着ていったせいで俺はみんなの笑われ者にされたんだぞ!二度とこんなの着ていくか!!」
その勢いで私はそのセーターを脱ぎ、ゴミ箱に投げつけたのだ。(そしてゴミ箱に入れた)
私は、そのまま外に飛び出していった。母親はちょっと驚いたような様子で、特に何も言い返してくることはなかった。
さて、勢いよく外に飛び出したものの、友達と遊んでてもなんとなく家のことが気になっていたように思う。心ここにあらず、だ。
家に帰り、いや、そーっと・・家に帰り、先ずはゴミ箱を覗いた。
・・・ない!?
捨てたはずのセーターは、そこには無かった・・・・
と、いうことは ・ ・ ・
私は母親の部屋にいくと、テーブルの上に捨てたはずのセーターはたたんであったのだ。
すかさず、母親の表情を見ると、とても寂しそうな、悲しそうな顔をしていた。
ずきっ!
そのとき、私はとても胸が痛くなった。
・・・ここで記憶は途切れている。
この先、どうなったか、どうしても思い出せない。必死に忘れようとして忘れてしまったのだろうか。とにかく、思い出せないのだ。ただ、あのセーターを着ることは二度となかった・・・・
その後、両親は離婚し、私は父親と暮らすことになったことから、セーターのありかもわからないし、それ以前に謝ることも出来なくなった。
以降、数年に一度、この出来事を思い出すたびに胸がズキズキと、後味が悪いような気持になるようになる。
時代は20年以上流れ、今となっては母親と会うことは可能であるが、謝れるのだが、それはそれで、あまりにも時間が経ちすぎていて逆に謝れない・・・。
そして、あのセーターはまだ、どこかにあるのか!?
以上、思い出でした。
その後どうなったか、皆さんはさらさら興味はないと思うので記事にはしませんが、よっぽど反応があれば別ですが。
ではまた!
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