【あれから26年】玄倉川水難事故から学べる教訓
皆さんこんにちは。社団法人ランナー龍(たつ)です。
この事故は避けることが出来た事故です。
それでも他人事にしてはならず、忘れてはいけない事故だと考えています。
さて、皆さんは『玄倉川水難事故』をご存じでしょうか?
当時テレビでその悲惨な様子が全国放送されたのでご存じの方は多いと思います。
実は私も当初テレビでリアルタイムで見ていたので、そのショックがトラウマとして残っていたこともあり、事故現場である ”丹沢” であるのにも関わらず中々記事に出来ませんでした。
しかし、玄倉川は日頃から通う場所でもあり、このタイミングで記事にしてみようかと思った次第。
このブログらしく、他では語られない視点で事故を詳細に振り返り、考察し、教訓について語っていきます。
一個人の独自研究としてご覧ください。

玄倉川水難事故とは?
玄倉川水難事故は1999年(平成11年)8月14日に丹沢山地である神奈川県足柄上郡山北町の玄倉川で発生、熱帯低気圧の豪雨とダム放流により、川の中州でキャンプをしていた、取り残された18名のうち13名が命を落とすことになった凄惨な水難事故である。
事故後、既に26年が経過しています。それなのに尚記憶に新しい。
本事故が発生した玄倉川は酒匂川水系に属しており、蛭ヶ岳、丹沢山、塔ノ岳など日本100名山ならび、丹沢の主峰にそそり立つ急峻なユーシン渓谷の間を流れる川で、下流に行くと丹沢湖に到達します。

この写真がユーシン渓谷です。ここは沢登のルートも複数あり、有名なエリアである。2025年11月にも、本記事事故現場付近の沢登ルート「女郎小屋沢」でも死亡事故が発生しています。
この急峻な山間に流れる玄倉川は川幅も狭く増水時の水深や流速への影響は大きい。加えてダムも小規模なため、長時間の大雨には耐えられず、すぐ放流となる。ここでの雨天時キャンプはリスクが高すぎる。
というか、これを言ったら元も子もありませんが、ここでのキャンプは禁止されています。

事故現場の地図です。上流には玄倉ダムがあります。豪雨がピークに達した時、ダムの限界が訪れ放流されたことが決定打となり、取り残された家族らが一斉に丹沢湖まで流されることとなります。残酷なことにこの瞬間がテレビに放映されました。
この映像を見て思い出す方は多いかも知れません。ここから家族らが流されるまで見ていることしか出来ないのはあまりにも残酷です。
写真ではまだ余裕が見えていますが、この濁流と水深から見ると、既に手遅れの段階です。子供が自力で陸に上がるのはもう不可能でしょう。(大人でも運が無いと無理)
一方で良く見ると、死の覚悟を悟った表情にも見え、心が痛みます。

ちなみに、こちらは私が撮影した写真になりますが、ほぼ事故現場の中州の様子を写しています。天候次第でこんなにも違うのですね。
天候が穏やかな時はこんなに穏やかで水深は浅く、ユーシンブルーは美しく、アルコール入りのトロピカルジュースを飲みながらくつろぎたくなる気持ち、キャンプをしたくなる気持ちは分かります。
しかし繰り返しますが、ここでのキャンプは禁止です。
また、雨天時の川原や、まして中州でのキャンプは非常に危険です。
私は子供の頃、埼玉県秩父市の秩父鉄道運営のキャンプ場(現在は閉鎖)で川の中州にテントを張ったことがあるのですが、雨が大雨になるまえに父親が突然テントを畳んで、中州から撤退した経験があります。その後雨は止んで大事には至りませんでしたが、その時に父親からは中州は増水には神経質なくらい注意しなければならないことを教わりました。

こちらが玄倉ダムです。ユーシンブルーが美しい。
玄倉ダムは ”ダム” という名前こそついているものの、河川法の規定を満たしていない規模であり、発電用の小規模堤防のようなもので、厳密にはダムではない。
写真からも分かるように、これでは洪水をせき止めるにはあまりにも心許ない。
玄倉ダムは毎秒50立方メートルを洪水と定義し放流操作を行うらしいが、事故当時は毎秒100立方メートルの流水量があったことから、ものの数分でダムが決壊してしまうことが目に見えており、家族らが残る河川に放流するのもやむを得ない判断だったと考察されています。
結果的に河川に取り残された18名のうち、13名がお亡くなりになり、流れに必死に耐える姿がテレビに放映され、それを多くの大衆が目の当たりにした。
大々的に放送されながらも人命を救出できなかったこともあってか、救助に関する様々な意見が寄せられ、Wikiの情報によると、当時の内閣官房長官から、防衛庁、警察庁の責任者らが、どんな事情があれど、人命を救出できなかったことに対して、強く叱責を受けたという。
また、救助費用として山北町が負担した金額は約5000万円にも及び、同日に反対側の道志川での事故と合わせて約1億もの費用すべてが公費負担となった。
露営禁止エリアでのキャンプ、撤退の警告を無視したこと、救助できなかったこと、たくさんの税金が投じられたこと。全てにおいて理想的な結末とは程遠く、思わず目を伏せたくなるようなやるせない事故となり、幕を閉じた。
ただ、これを ”やるせない事故” で終わらせてはいけない。
事故の一部始終を時系列で再現

状況はWiki及び日本気象予報士会の記事より要約して抜粋。
8月13日 15:00~20:00 豪雨の始まりと警告の無視
1999年8月13日、キャンプ指定地ではない玄倉川には50張ものテントが張られていた。
雨が降り始めたのは同日15時頃であり、15時20分ごろにはダム管理職員が1回目の巡視を行い、ハンドマイクで退避を促したという。
「危ないですよ。気をつけてください。」
ここで大部分のキャンプ客は指示に従いて撤退を始めたという。しかしながら、事故当時者となった家族らの反応は冷ややかだったという。それでも一行25名のうち、4名は日帰り参加であったため帰宅した。
19時35分ごろ、雨足が激しくなり、ダム放流予告のサイレンが鳴り響く(通常10分のところ30分鳴らす)。ダム職員の2回目の巡視が行われる。中州から撤退するよう勧告したが、拒否。
ダム職員もこれ以上は危険と判断し、警察に通報。
20時20分ごろ、玄倉ダムが放流を開始。これに合わせダム職員と警察官が退避勧告を行った。しかし、付近は急流となり直接声を掛けられる状況ではなくなった。この勧告により3名は応じ、自動車へ避難した。警察官は拡声器で、万一の時は後方の山の方に逃げるよう伝える。
松田署員が再び退去を求める。「かなり酔った状態で、注意しても、『うるせえ、警察にそんなこと 言われる筋合いはない。』とかそれは酷いものでした。との事。
1999年8月14日 05:00~10:00 再三の警告無視
5時35分、降雨は激しさを増し、気象庁は神奈川県に発表していた大雨注意報を大雨洪水警報に切り替えた。
6時頃、前夜に撤収したメンバーが、川を渡って中州のテントに残っている仲間に中州から避難するよう呼びかけたが、反応は無し。まだ水流は膝下ぐらいの深さで、辛うじて渡渉可能だった。 7時30分ごろ、警察官が巡回し、テントまで2メートル付近まで近づいて退避を呼びかけるが応じず。
「危ないから避難したほうがいい。」→「大丈夫だ。」
8時30分頃、中州も水没した。膝越し以上の水位の渡渉は、通常の流れであってもザイルがないと大人でも危険であり、増水して急流となった現場は、自力での退避が不可能となった。既にテントは流され岸からの距離は80メートルほどになっており、中州で野営した横浜市内の一行はパニック状態になった。
前夜に岸に避難した社員が消防に119番通報で救助要請を行い、これを受けた足柄上消防組合の本部から救助隊5人が9時7分に現場に到着。
「大人12人、子供6人が中州に取り残されていて、歩いて渡れない。」
渡渉による救助を試みるが、激しい水流のため断念した。
9~10時に時間雨量38mm記録(バケツをひっくり返したどころの騒ぎではない洪水レベル)
10時頃、レスキュー隊員11名のうち2名が断崖伝いに対岸に到着。放送局のテレビカメラも現地に到着し、取材を開始する。10時10分には救助ヘリコプターの出動が要請されるが、熱帯低気圧による強風と、複雑な谷合いに低く垂れた濃雲のため二次災害が懸念され、却下。ロープによる救出以外に方法はなかった。
1999年8月14日 10:00~13:00 パニック!
10時30分頃、レスキュー隊が対岸に救命索発射銃で救助用リードロープの発射を試みるが、対岸の樹木に引っ掛かったため、ロープを十分に張ることができなかった。15分後に再びロープが発射されるが、水圧と流木に妨げられてメインロープが遭難者に届かなかった。既にテントは流され、3本のビーチパラソルの支柱を中心に、男性たちが上流側で踏ん張って水流を和らげようとし、中央部に女性や子どもが寄り添って雨風を避け、下流側で乳幼児を抱いた男性が佇んでいる様子の映像がテレビで速報された。

警察からダム管に「放流を止めてほしい」との要請。
ダム管「小さいダムですから止めるわけにはいかない。」
警察「何でもいいから止めてほしい。」
11時ごろ、玄倉ダムが警察からの要請を受け放流を中止した。しかし玄倉ダムは発電用ダムで貯水能力に乏しいため、すぐに満水となりダム崩壊の危機に直面した。やむなく崩壊防止のため5分で放流を再開。
「5分が限度でした。あのまま放流を止めていたら、ダムが決壊して 大惨事につながるおそれがあったんです。」
水深が2メートル近く(胸までの水位)になった11時38分、救援隊や報道関係者の見守る前で18人全員がまとめて濁流に流された。このとき甥である1歳男児を抱いていた男性が咄嗟に子どもを岸に向かって放り投げ、別グループのキャンプ客(東京都鳶職の男性)が危険を顧みず救い上げた。この子どもの父親と姉を含む大人3名、子供1名も対岸に流れ着くが、残りの13名はすぐ下流の立間堰堤から流れ落ちて姿が確認できなくなった。
12時14分、事故現場に現地本部が設置された。
1999年8月14日 14:00~以降 丹沢湖での捜索
19時ごろ、丹沢湖で女性2名の遺体を回収。8月29日、自衛隊による捜索活動の打ち切り直前になって、最後まで行方不明だった1歳女児の遺体が発見された。これにより、13名全員の遺体が丹沢湖から収容された。
尚、同日関東甲信越でキャンプ中に孤立した人は17件401人にのぼった。
全国では死者16名、行方不明2人、負傷者7名、全壊4棟、半壊13棟、一部損壊19棟、床上浸水686棟、床下浸水3322棟、災害対策本部設置市町村42。と、大きな爪痕を残す自然災害となった。
指定露営地以外のキャンプに対する法的措置に関する規制は無く、市町村のレスキューには限界がある。また玄倉ダムは2tを超えたら放流するものになっていて、洪水を遮る能力は持ち合わせていない。
既に26年経過しましたが、当時行方不明なく収容できたことについてレスキュー隊に感謝するとともに、お亡くなりになられた方々にご冥福をお祈り申し上げます。
情報の出所
日本気象予報士会 神奈川県山北町玄倉川水難事故について
Wikiペディア 玄倉川水難事故
DQNの川流れ

一部始終、全国放映されてしまったこと、再三の警告を無視し、救助者に対し心無い言葉を投げかけてしまったこと、結果13名の尊い命が無くなってしまった責任の重さ、当事者のリーダー格の人物が生存していることなどを含め、世間やネット界隈では大騒ぎの批判が生じる事態となった。
1999年頃はまだスマホもなくインターネットが快適ではない時代だったのでこの程度だが、今だったら更に大変な騒ぎに発展したと思う。
この振る舞いが起こした末路として、本事故は別名「DQNの川流れ」とネット上で命名されている。
DQN(ドキュン)とは何か?
DQNとは、常識に欠け、粗暴な振る舞い、軽率で乱暴な言動をする人たちを揶揄するネット用語である。社会性の対義語である反社会性の見本とも言われる。
見知らぬ人から言われようものなら、名誉棄損に該当しそうだが、この事故の一部始終をよくよく確認すると、言ってはならないが、言われても仕方がないほどに
胸クソが悪い事故である。確かに後味が悪い結末である。
そして当事者(生存者)らの謝罪会見は無かった。
DQNの川流れを検索すると、特定班により、かなり調べられてしまっているようで、具体的な氏名まで特定がされています。ここでは敢えて載せません。
Wikiペディアでは、神奈川県横浜市の廃棄物処理会社に勤める社員やその家族18人とまでは明記されています。
また、DQNの川流れという名称でkindle本まで出版されていました。
DQNの川流れ~自然を侮るヤンキーたちの末路~ Amazon
出典:Amazon著者紹介より
著者:徳永大輔氏による2019年執筆のkindle本で、アプリ利用者が広告を見ることによって、キャンペーン中は無料で読めるようですので、気になる方は読んでみてください。口コミは賛否あるようです。
徳永氏はネットで噂になる事柄を漫画にしているようです。若い方ですね。
名誉棄損が心配されるタイトルですが、登場人物の名前は偽名のようなので良かったです(笑)
私の考察と教訓として学ぶべきこと

当時1999年、私はまだ高校生で、丹沢も玄倉川も知らず、神奈川県の箱根ではないところにこんなところがあるなんて全く知りませんでした。
そんな無関係な場所に30歳を過ぎてから、まさか自身の登山のホームグランドになっていることなんて知る由も無く。
玄倉川はなんとなく、気持ちが悪くて下りれないんです。というか、ここで遊んだり、キャンプしている人なんて10年通って一度も見かけたことが無いです・・。
なのに、近年でもここで水難事故は発生しています。
2023年8月に起きた水難事故です。
奇しくも、同じ8月に事故が起きてしまうとは・・・。

ちなみに、これは台風通過後の玄倉川ですが、とんでもない濁流で、勢い余って轟々と音が鳴り響いています。恐らく、あの水難事故より水量はだいぶ少ないとは思いますが、この流れでさえ、中州から対岸に渡ることは不可能だと判断します。
(2017年、水量の多い玄倉川を撮影)
この玄倉水難事故から学ぶべき教訓として考えて欲しい事は、
事故が起きてしまった時に、後ろ指を差されないためにしておくべき振る舞いと行動規範があると言う事です。
- 指定地以外のキャンプは行わない。
- 自然相手の事故はいかなる場合も自己責任である。
- リーダーは子供や同行者の命を最優先したリスク判断を行う。
この3つを心得ていれば、今回の事故は防げました。キャンプ時に雨天に見舞われるケースはあるでしょうが、河辺や中州からは速やかに非難するのが常識。
泥酔していたという情報がありますが、少なからずお酒は飲んでいたと思われます。自然の驚異が少ない安全に管理されたキャンプ場ならともかく、手つかずの自然の中での露営なので、お酒は控えるか、少なくともリーダーはお酒を控えて、いざという時の動きが出来るよう心得るべきです。同時に体力や判断力のない子供は最優先でリスクから守る。
少なくとも、子供とその母親達だけでも避難を指示できていれば、後ろ指差されるほどの非難は無かったかと思います。
誠実で安全に真剣な判断1つ1つが、生と死の分岐点を分けるという教訓になったのではないでしょうか。少なくとも、警察による警告の段階でまだ生き残れるチャンスはありました。豪雨の中州で一晩を明かすべきではなかった。
登山でも危険と思ったら辞めるための、確固たる判断基準を持ってください。
年に数回は歩く玄倉林道。その度に事故を思い出しますが、風化させるのではなく、教訓として定期的に思い起こす必要があるのだと思っています。
ではまた!



