
気付いちゃいました?登山に徳を積む行動がたくさん含まれていることに「日常生活に生かそう!」
よく、こういった言葉があります。
迷ったとき、
「どちらが正しいか」 より 「どちらが温かいか」 「どちらが得か」 より 「どちらが徳か」 「どちらが損しないか」 より 「どちらが後悔しないか」
で選ぶこと |
人としてどうあるべきか。と考えると右側を選びたいものですが、
一般的に左側の思考になりがちであり、また感情的になっているときはやはり左側の判断をしてしまうことがほとんどだと思います。
多くの人が自分にとって正しい判断が正義であり、損をしたくない!という思考が無意識に働くのではないでしょうか。
これは僕も特に気を付けていることです。
ところが、なかなかできないのが正直なところ。
人は感情的になるほど人に冷たくなり、
冷静になるほど人に温かくなれるのではないでしょうか。
ところで、ふと思ったのですが、
登山って「徳を積む行動」がたくさんふくまれているではありませんか!
気付いてしまいました。
・挨拶をする
・道を譲る
・ゴミを拾う(ゴミを捨てない)
・困っている人を助ける
・噓をつかない
・鍛錬を重ねる
・冷静な判断を心掛ける
登山ではみんな当たり前に出来ていることばかりです。
むしろ常識やマナーに該当する内容ですが、実はなかなか徳のある事で、
日頃の生活ではできそうでできていなかったりする内容ですね。
平地を歩いていて、見知らぬ人に挨拶したら下手すると通報されるかもしれない世の中^^;
世知辛いです。ただ、挨拶は山では自然とできるではありませんか。不思議です。
「来た時よりもきれいにする」という心がけが山では大切といわれているように、ゴミは捨てないし、持ち帰るという登山文化が根付いています。
山での嘘は命を落としかねないので、嘘をつくこと自体が山では意味を成さない行為です。
命に関わる以上、困っている人を見捨てることは出来ないので、嫌でも助けざるを得ないでしょう。それと自分も困ることにならないよう、判断の1つ1つに冷静さが求められます。例えば撤退の判断とか。
このような徳のある行動が登山では勝手に出来てしまうのだから、山って凄いんだな。と思うわけです。
昔から修行を積む、徳を積む、自己研鑽する場所として崇められる神聖な場所として山の存在が語られてきているのも頷けます。
何かの判断をするとき、
どちらが「正しいか」「得か」「損をしないか」ではなく、
どちらが「人として温かいか」「人として徳があるか」「後悔をしないか」で
選べるよう一歩立ち止まって考える思考をもつように心がけてみてください。
これを繰り返しているだけで、見る人は見ているので、周囲の人望も高くなります。
人望が高いというのは必要とされるということです。
それは「あなたは若いのに人望もあって凄いよね」などと言われたときに気が付くことになるでしょう。
”損をする” と ”後悔する” は似ていて異なります。
温かい行為、徳のある行為というものは、傍から見ると損をしています。
例えば、人助けをしたので、1時間に1本しかない電車に乗れなかった。など。
この場合は損をしたように思えるが、逆に後悔はなかったりしますよね。
一方で、人助けをせず、電車に乗ったら、別に損はしていないが、逆に後悔がでてくる気がしませんか?
これが見ず知らずの人ではなく、家族だったりもっと身近な相手だった場合、テコの原理がより働き、後悔の有無の差が大きくなってしまいます。
勇気をもって行動すると、失敗して損をする可能性がありますが、その代わり後悔する可能性が低くなるという逆の側面がある。誰もが経験済みだと思うんですけどね。
それこそ、徳のある行為は損をしているように見えるが、実は損をしていなかったのです!
「人としてどちらが温かいか」という思考を習慣にするだけで、大きく変われます。
人道的な判断基準として心得ておくべし。ですな。
あまりにもそれと真逆な人は、いずれ人から距離を取られると思いますよ。
とはいえ ”徳を積む” と言う行為が高尚過ぎて重圧に感じてしまったりもあるかと思いますので、
「こんなちっぽけな行為、徳でも何でもないかな」くらいの小さなことで良いと思いますよ。
(これ重要)
ではまた!