道しるべに会いに行く【丹沢との出会い】
皆さん、こんばんは。社団法人ランナー龍(たつ)です。
2016年から登山を始めた私の原点のお話です。
私の登山と言えば、「丹沢」ここが原点であり、ホームグラウンドである。
実は、20歳そこそこの頃から、1年~2年おきに富士山は継続的に登っていたのですが、少なくても登山をするという自覚は無かった。
30歳を過ぎて、これから登山を真面目にやってみようかと思い始めたころに登ったのが、
丹沢の「不老山」だった。
丹沢は不思議で、2016年当初の一昔前から始めたはずの登山も、大昔からやっていたかのような気分になったり、つい先日始めたばかりのような気分にさせたりしてくれる。
その理由は、 岩田澗泉(いわた たにいずみ)さんの 【道しるべ】だ!
皆さんは知っているだろうか?
西丹沢に伝説の美しい道標があることを。
当初、地図も読めない私が西丹沢を縦走中、不老山周辺で道迷いを起こしながら、この道標を発見し、
がんばれ!しっかり!などのようなメッセージが書かれたこの看板に励まされ、無事に駿河小山の駅に下山した思い出がある。
これが道標と共に、私にとって忘れられない思い出になっている。
なんと、この”道標”について書かれている本が最近出版されていたのだ。
それが、こちらです。
浅井紀子:著 『道しるべに会いに行く』 風人社
西丹沢に伝説の美しい道標があった。 いや、まだある!
といったフレーズから始まるこの本。 丹沢を知る上で、外せない歴史の1つと言えるでしょう。
※本書は2020年に出版されたもの 割と最近なんですね!
丹沢を原点とする私の、この道標との思い出。そしてこの本の内容にも少し触れていきます。
丹沢・不老山周辺で生きてきた男の人生が刻まれている
富士の須走方面、山中湖方面から、三国峠を経て不老山に向かうルートに、無数の手作りによる道標が立っている。このエリアを歩いたことがある人ならば知っている人も多いのではないか。
その数は100個くらいにはなるだろうか・・・?(数えたことは無いが)
この看板を作ったのが 岩田さんという方で、大正生まれの岩田さんはこの不老山の麓、小山町で生まれ、若いころは国語の教師をしていたそうです。
あまり体が丈夫ではなかったが、登山をするようになり健康になったという。
恐らくは定年などで現役を退いた後のタイミングで、この道標作りに励むようになり、ご本人がお亡くなりになるまで作り続けられていたと思われる。
つまり、この道標は、この男の刻んだ人生だと思っている。
この看板を初めてみた私は当然そんな事情など知る由もなく、
「なんだこの看板は(笑)真面目なのか不真面目なのかわからない」
なぜなら、道標は、行き先を書いてあるからこそ道標であるはずが、
この道標は、なぞなぞが書いてあったり、絵が描いてあったり、豆知識が書いてあったり・・・
そして、行き先はオマケというかついで!?二の次に感じました(笑)
なぞなぞの答えは次の道標で!だと!!
なんだ!この山は!この看板は!(笑)
とはいえ、さすがにそんな私でも、この道標を作った人が愛情をこめて作ったんだなということは、よくわかりました。
出典 浅井紀子:著 道しるべに会いに行く より、道標の1部
あまり載せてしまうと問題があるので、この4/1ページだけにします。
どうですか!この看板!左側に進むと不老山方面なんだなってことは分かるのですが・・・
何より、このいで立ち!アートともいえる楽しい看板!富士山と不老山の部分を残して削って作っているのがなんとも印象深い。
真面目なのか不真面目なのか分からず、したがって、信じてよいのかダメなのか(笑)
半信半疑でした。
後に、私はこの看板に助けられることになるのだが・・・・・
(ここから古い記憶を蘇らせています)
不老山から、金時公園方面に下山する際に道迷いを起こし、どうやら、鉄塔の電線保守などの作業道に誘導されてしまい、そのまま道なき道に突き進んでしまう。
その後に、恐ろしくなり、「迷ったら登る」のセオリー通り全部登りなおして、どうにか分かる道を探す最中で、遠くにこの岩田さんの手作り看板を見つけたのです。(ついでにツキノワグマにも初遭遇)
同時に、登山道に設置する公共(公式?)の道標も見当たりましたが、
なんと、手作りの看板は、公共の道標とは全然違う方向を指しているのです。
これには私も焦りました。
こともあろうに、岩田さんの看板は、その公式?の看板を否定し、ぜったい私の看板の通り進んだ方が早く下山できると断言するようなメッセージが書いてありました。(記憶では)
こんな感じだったと思います・・
道は細いし、寂しいが、ちゃんと下山できる云々・・と書かれていた記憶です。
ぜったいだな!?と私は看板に問いかけ、岩田さんの道標のみを信じて進むことに決めたのです。
この道標が、それはもう、そう遠くない距離に点々と立てられていて、
道自体は、ぜったいバリエーションルートだと思うのだが(?)
少し歩くとすぐに看板があるので、迷わずに下山できました。(神社?人の家?変なところに出ました)
道標が話しかけてくれるのです。もう少し!とか、ここは気を付けてしっかり!とか。
まるで、だれかと一緒に歩いているようでしたね。
半分泣きながら下山したので、もう忘れはしませんが、以後地図読みを勉強するようになりました。
それ以降、不老山には登っていない私ですがこの道標の写真を見た時に、懐かしさで思わず「ほろっ」と涙ぐんでしまいました。
だからこそ、丹沢並びにこの道標は私の登山の原点なのです。
本書にも触れていますが、この道標を巡っては町内で一時、訴訟問題にまで発展しているという波乱万丈の展開もあります。
これを作った岩田さんはもうお亡くなりになられているので、この看板が新しく作られることはもうありません。
あとは時間の経過とともに風化し、朽ちていく運命にあります。
でも、2021年現在。まだあります!・・・道しるべに会いにいかなくては。
きっとあのとき、私は道しるべに宿った岩田さんの魂に見守ってもらっていたのかな・・・
こういう道標は個人的には大賛成です。単独ハイカーの心の友です。
興味を持った方、この本を手に取ってみませんか?
2016年秋、私が登山を始めて3回目の丹沢を歩いた思い出話と、伝説の道標のお話でした。(実話)
ではまた!